日本学術会議への人事介入がもたらすもの

投稿者: | 2021年2月16日

第22回総会記念講演
   講師 古川利通氏(大阪健康福祉短期大学副学長 奈良自治研理事)

記念講演には、非会員の方1名を含めて24名が参加しました。
講師の古川先生は、世界各地で民主主義が殺されようとしている、新全体主義が人々の未来を選ぶ自由を奪い、生き方の自由を奪っている。日本においても、安倍・菅内閣は憲法破壊を行っていると先ず話して、日本学術会議員任命拒否事件に入られました。

日本学術会議は、・・わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献・・・することを使命

日本学術会議は、日本国憲法23条の「学問の自由の保障」のもとに、日本の代表的アカデミーとして設立されたもので、深刻な歴史的反省に基づく組織原則をもつ内閣府が所管する学術会議である。

日本学術会議法の前文には、「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、 わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される。」と書かれ、①学術的に国を代表する機関、②国家財政による安定した財政基盤で内閣総理大臣の所管、③独立して職務を行う、④会員選考における自主性、独立性を持った組織である。

安倍・菅内閣による学術会議への介入

そのような日本学術会議に対して、安倍・菅内閣は介入をしてきた。2,016年以来、任期交代期における「打合せ」「話し合い」という干渉が行われ、2016年8月の会員3名の補充に官邸が難色を示したために会議側が補充人事を放棄。
  2017年には交代数105名を超える名簿を会議側が事前呈示し、調整の末に会議側の推薦どおりに105名を任命した。
  2017年、デュアルユース(軍民両用)研究推進の動きに対して日本学術会議は、1950年(朝鮮戦争時)、1967年(ベトナム戦争時)の「戦争を目的とする科学の研究を絶対にこれを行わない」という旨の声明を継承し、「軍事的安全保障研究に関する声明」で「学術会議としては軍事研究は行わない」という姿勢を明確に表明した。  

2018年、内閣府文書「首相に推薦どおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」という見解を示す。同年9月、官邸が学術会議の推薦案に難色を示し、補充が見送られた。

2020年8月31日、学術会議事務局が会員候補105名の一覧表を安倍首相に提出、安倍から菅にこの問題が継承され、同年9月28日内閣府から日本学術会議に99名の名簿が送付される。6名の任命拒否となった。

古川利通氏

その後菅首相は、「総合的、俯瞰的活動を確保する観点から判断した」「学問の自由は全く関係ない」「多様性を念頭に判断した」「(105名の推薦名簿を)見ていない」「内閣法制局の了解を得ている」「人事については答えを差し控える」といろいろと発言し、問題をすり替えて学術会議の設置形態を見直すよう攻撃した。

6名の任命拒否に対して、91を超える学会(現在150学会)から様々な意見表明が出された。

同年12月16日、日本学術会議は「日本学術会議のより良い役割発揮に向けて(中間報告)」で、「俯瞰的視野を欠き」といった菅首相の意見を取り入れたような文書を発表した。

(2021年1月28日、日本学術会議幹事会声明「日本学術会議会員任命問題の解決を求めます」では、任命されない理由の説明と任命されていない6名の速やかな任命を求めています。)

2018年内閣府文書の問題点

内閣府の内部文書は「首相が学術会議の推薦どおりに委員を任命しないこと」の正当性を
①任命拒否は、科学者の研究の委縮に繋がらない
②公務員を選定罷免する国民固有の権利(憲法15条)から首相が任命について国民・国会に責任を負う
③行政権が内閣に属し(憲法65条)、内閣総理大臣は行政各部を指揮監督する(憲法72条)から、学術会議は首相が所管し、人事を通じて一定の監督権を行使できる、3点を理由としている。

この内部文書に対して、②については、だから首相は国民・国会に対して説明責任を負うのであり、③については、学術会議法は職務の独立を定めており、人事を通じて一定の監督権を行使させないよう、「所管する」とは任命権と予算権は持つが監督権を行使できない、「推薦に基づき・・・任命する」とは任命行為の形式性を意味している。

何よりも問題なのは、菅首相が任命拒否は学問の自由の侵害と①「全く関係ない」と放言し、その具体的な理由を説明することを拒否したことだ。
それとともに、この内部文書が内閣法制局の了解を得ていることが問題で、内閣法制局の著しい劣化だ。安倍首相が内閣法制局長官の人事に介入して“恣意的人事”を行い、そのお墨付きを得て集団的自衛権の容認、戦争法の成立に暴走したが、それ以来内閣法制局から法治主義が失われてしまった。

任命拒否と学問の自由

①深刻な歴史的反省に基づく組織原則を持つ学術会議

 戦前、政府が「正しい学説」を定め、官憲の監視のもと、自由な研究・教育はできず、本人の意思に反して「多くの研究者が原爆などの兵器開発」に動員された。それで、戦後の憲法制定会議では、「研究者の活動に国家が干渉して妨げることのないようにする」(金森徳次郎)と。

②憲法23条の“学問の自由”の根本的原則

 “学問”は、国家や時の権力を超越した真理の探究であり、人類に役立つものである。真理探究活動に対する“権力の干渉”は、「学問の発達」を妨げ、学問を支える「国家社会の運命を左右する」ことであるとともに、「外部権力の価値判断に、研究者が、さらには国民が従属させられる」ことを意味する。すなわち、時の権力者が「何が正しく何が間違っているかを決めている」点で、憲法の学問の自由を否定している。「多数決民主主義による価値判断」であっても、「ただ一人の人間による真理探究・真理公表の自由」を妨げることができないということが、学問の自由という人権の保障の意義である。

③任命拒否の理由を説明しないことこそが、「民主主義に反する権力の行使」(国民に対する暴力)「イタリア学会の声明」であり、自由で民主主義的な「思想・表現の自由の秩序」それ自体を破壊する行為である。

 民主主義を“支える命”は、軍隊・警察・官僚などを指揮できる権力者が、自らの政治行為について、国会と国民に対して答弁し、説明し、「公論」を保障することにかかっている。日本国憲法63条で、「内閣総理大臣その他国務大臣は、・・・・答弁又は説明のために出席を求められたときは、出席しなければならない」と義務付け(1975年内閣法制局長官「首相には答弁し、説明する義務がある」)、そのうえで、21条で「思想表現の自由」を保障しているのである。

 権力者が、自らの政治的判断についてその理由を説明せず、その是非を国民が判断する基本材料を与えないことは、「公論」に付すこと自体を否定することによって、国民に「不安」を感じさせ、威嚇効果を発揮すること、すなわち権力の国民に対する暴力に他ならない。

それゆえ、菅首相の学術会議員任命拒否行為は、第一に学問の自由を侵し、第二に自由で民主主義的な思想・表現の自由秩序を空洞化して国民の知る権利を否定し、第三に学術会議法に違反する違法行為であり、認めるわけにはいかないと断言されました。

安倍・菅内閣による憲法的自由・民主主義の「破壊」は、学術会議員任命拒否だけではない

「戦後最大の表現の自由に対する検閲」を行った「愛知トリエンナーレ2019:表現の不自由展」補助金不交付問題  (菅官房長官(当時)が「補助金交付の決定にあたっては、事実関係を確認、精査して適切に対応したい」 と述べ、宮田文化庁長官のもとで補助金不交付の決定をした。)

 第57回自治体学校・石川県MICE助成金不交付問題 (2015年第57回自治体学校が石川県、県議会等の後援を受け開催されたが、県観光連盟の事務局となっている県観光振興課が自治体学校のリーフレットに書かれている講演内容「安倍内閣の政策は憲法を無視し、戦後民主主義=地方自治を危機に陥れている」文章をとりあげて、これが政治的表現にあたるとして、申請を受け付けずに石川県MICE助成金を不交付にした。)

 森友加計問題では公文書の改竄が行われ、改竄を指示したものは出世した。「桜を見る会」では公文書の破棄。「記者会見」の排他性、一社一人、一時間、再質問禁止の慣例化で「大本営報道」化へ。

<説明できない、しない>「公金の使用」、<忖度を生み出す>「人事の支配」などの権力を行使して、“統治機構の根腐れ”や“政と官のゆがみ”を生み出している官邸権力は、安部・菅一強体制に支えられている。この一強体制は、90年代から始まった「平成の政治改革」と「日本会議」「神道連盟」などの多様な復古的保守潮流の拡大とが結びつき、重なり合う過程で形成された。

「官僚主導から政治主導」にするための「政治改革」は、小選挙区制度の導入、政党交付金制度を設けた。政策決定・政策運営を機動的に行うために、官僚権限を首相官邸に集め、内閣人事局を創設するとともに、官邸による政治資金配分、選挙公認権限の独占によって、官邸の議員支配が強められた。

 他方、1997年発足した「日本会議」は、47都道府県に本部を設置し、草の根地方議会運動を行い、240支部を置き、地方議員連盟は約1700人の地方議員が参加、会員数35000人、政財界や学会を網羅する一大勢力となった。草の根の集票力やカネに依存する「日本会議」系国会議員は290名以上といわれ、安倍・菅内閣の7割~8割の大臣が「日本会議」「神道議運」等に重複して名を連ねている。

 「日本会議」の目指すものは、「美しい伝統の国柄を明日の日本へ」「新しい時代にふさわしい新憲法」

・・・等であり、この「日本会議」の目指すものが、「個人の尊重」を核とする精神的、社会的自由(家族の尊重と国籍離脱の自由など)、生存権などの人権を保障し、徹底した平和主義と民主主義の実現を目指す日本国憲法の「未来像」と決定的に対立していることは明らかである。政権を掌握している「日本会議」派勢力によるあらゆる“憲法破壊”“解釈憲法”を許してはならないと強調して講演を終えられました。

 講演後、多くの意見、質問が出され、古川先生がそれに応えました。

・戦前の滝川事件の時は多くの学生が抗議したが、今の学生は何をしているのだろうか。学生の歴史離れ、日教組つぶしの効果、SNSで自分にいいものしか見ない状態になっているのではないか。
・意見、学説は多くあっていい。事実によって正しさが分かる。
・学問は多数決ではない。正しさは事実が証明する。少数説もいつかは多数説になるかもしれない。
・1980年代、統一教会=勝共連合がスパイ防止法制定運動をやっていて、自治体議会で決議を上げる運動をしていた。

 任命拒否された方の中には、自治体問題研究所の調査研究活動や出版活動に協力された方もおられるようです。また、アンケート調査で、10代、20代の若い人が「任命拒否を問題だと思う」と回答したのはわずか17%しかいなかったという調査結果もあるようです。これは危機的な状況です。奈良自治研でも引き続きこの問題を取り上げていく必要があると思います。
                              (文責 城)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です