「縁食論(えんしょくろん)―コロナ禍に考える食の根源的変革について」

投稿者: | 2021年7月18日

7月9日、「非核平和の集い」が奈良市内で開催されました。講師の藤原辰史先生(京都大学人文科学研究所准教授)は、昨年新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大するなか、パンデミックを生きる指針、歴史から学ぶ重要性、歴史的事件スペイン風邪から学び、異議抑えず、医療・弱者守り、成熟した厚生・文化・経済をと訴えられました。(2020年5月6日付け「しんぶん赤旗」記事を「ならの住民と自治」2020年7月15日付け第328号に転載)

今回の「非核平和の集い」では「縁食論」という聞きなれないことを話されるので、興味を持って参加しました。藤原辰史先生は農業史を専門とする歴史研究者で、ナチスの農業食糧政策も研究されています。第1次世界大戦中に衛生のため兵士が髭剃りを始め、それがムダ毛剃りにつながり、男女ともつるつるの肌がよいとされるようになった等、いろんな余談を含めて話されました。

食から平和を考える  食から人と人との縁を再びつなげる

現在の新自由主義は貧困を拡大し、人を孤独にした。人と人、人と労働組合、社会の縁をぶち切った。現在は無縁社会。人間と人間のつながり、人間と生命・自然、環境のつながりがブチブチ切れている。この無縁社会を再び結ぶには食が第一、食は両方をつなげることができる。それが「縁食」だ。「孤食」のように孤独ではなく、家族等とともに食べる「共食」でもなく、家族のだんらんほど押し付けがましくもない緩やかな連帯、食堂でふと隣り合った人との縁や、「こども食堂」で生まれた縁を大切にする「縁食」を広げ、無縁社会をなくしていきたいと。ちなみに、「縁食」は藤原先生の造語、この「縁食」という言葉が広辞苑に載るように頑張りたいと話されていました。

藤原辰史・京都大学人文科学研究所准教授

100年前のスパニッシュ・インフルエンザの教訓は生かされているのか

第一次世界大戦時、植民地からヨーロッパへグローバルに人と物資が動いた。アメリカが参戦したが、既にアメリカではインフルエンザが感染爆発していた。ヨーロッパに向かう船中で若いアメリカ兵士に感染が拡大し、それがヨーロッパ、全世界へと感染爆発した。戦死者は2,000万人とされているが、感染の死亡者はその2~5倍と言われている。

 兵士は体調不良を感じても衛生的に悪い条件で無理して作業に従事するため、悪化しやすく感染しやすかった。また、当時兵士を悩ましていたのが虫歯で、現地で歯を磨く時間がなかった。ウイルスの主な生存場所である口腔の衛生状況の悪さも感染拡大の大きな要因だった。また、銃後は食糧不足となり、スラブ等で感染が拡大した。

 帝国日本では、日本内地の千人当たりの死亡率は8.1人だが、樺太35.4人、朝鮮13.5人、台湾13.4人であり、社会的弱者、植民地に死者が多かった。

新自由主義の限界  100年経ても無策、行き当たりばったり、反省できない

新自由主義とは、現行の資本主義では利潤が増えないことから、新たな商売を求めて「規制」を突破する、資本主義の一つの新形態である。派遣労働者の増加、緊縮財政の強制、競争原理の貫徹、生命領域(労働力と自然)の商品化の貫徹、人権よりも経済の拡大、金儲けの社会だ。

 アメリカでは、昨年コロナの感染拡大により多くの食肉加工工場が閉鎖したが、それが食肉供給を脅かし、インフラに打撃を与えるとして、トランプ大統領が4月28日、食肉加工工場の操業継続を命令した。労働者の安全はないがしろにされたが、その労働者の多くは中南米からの移民労働者だった。

ドイツでも食肉工場で集団感染が広がったが、そこで働いていたのはルーマニア、ブルガリアからの移民労働者だった。日本でも農業に多くの外国人労働者が低賃金、無権利で働いている。

 日本のコロナ後「危機」が私たちに試すテストは、経済活動がいつストップしても人間が生きることのできる社会が形成されているのかどうか。「地球社会」存立の危機に、食と農の思想をどこまでの覚悟と緊張感をもって紡ぐことができるのかだ。私たちは瀬戸際に立たされている。

新型コロナウイルスの「抜き打ちテスト」が露わにしたもの これまでの問題の露呈

1. 大規模自然破壊とそれに由来する気候変動
プランテーションのための森林開発がウイルス媒介動物の生息空間を破壊した。
ブラジルのアマゾン熱帯雨林を焼いて大豆の生産。
西アフリカの熱帯雨林を焼いてバナナの生産。コウモリの糞がバナナに →エボラ出血熱感染拡大
フィリッピンのバナナ 単一の遺伝子のため病気で全滅・焼却、他の場所へと移動の繰り返し。

2. 非正規雇用労働形態の脆弱さ

3. 言葉の破壊  詭弁に矛盾 「総合的、俯瞰的」
  喫緊の課題としての言葉の信頼の回復

4. 人文学・文化の軽視 
  政治と経済に、歴史と批判が希薄 →首都に国立の 現代史博物館や空襲博物館がない。

5. 男性中心社会の暴力性  コロナ後の日本の女性の自殺増加。女性へのDV、解雇の増大、女性にしわ寄せが来る仕組みを根本から変えないといけないが、議員の女性蔑視発言があとを絶たない。

6. 都市と大企業一極集中の脆弱さ

7. 要するに、新自由主義の問題の露呈。脱新自由主義  

未来構想 ラディカルな食と農の思想を目指して

食の未来には、三つの道がある。一つは、食という「面倒なもの」の終焉、多収入層のレジャーとしての高級食と、労働者層の栄養確保だけの食事への分離。二つ目は、食という「儲かるもの」の過剰な市場化。種子、栄養素、加工、販売、欲望まで御膳立てされる社会。三つ目は、食という「楽しいもの」の復権。労働時間の短縮→料理時間の増加→「縁食」(家でも職場でもない場所で安価若しくは無料で食べる)の増加だ。

食から根本的に世界を作り直す視点が縁食の思想  子ども食堂

縁食の思想とは、生命と人間との「縁」(関係性の偶然的発露)を土台にした食のあり方を考えること。縁には常に「濡れ」と「分解」が必要となる。「分解」とは、生態系の三要素・生産→消費→分解の分解である。トラクター、化学肥料、農薬という農業の過剰設備が恒常的に過剰な食料をつくり出し、膨大な廃棄食糧を生んでいる。廃棄食糧が膨大過ぎて分解できなくなり焼却埋設している。これを膨大な微生物の力を借りた分解運動を中心に据える。そのためには、分解しやすいものへの原料革命、微生物の力を借りたエネルギー革命が必要で、脱農薬、脱化学肥料、脱石油石炭だ。

 縁食に必要なもの ・家族以外の人たちと穏やかに食べる場所、 ・ベーシックサービスの一つとしての「食べ物」、 ・あらゆる必需品から商品としての枠組みを外す運動、 ・人間関係をデザインしない、人間たちが居やすい場所だけを設計する、 ・子ども食堂と給食の発展。

子ども食堂は貧困家庭の子どものためという目的だけで成り立っているのではなく、支える側にも新しい役割を与え、地域社会における思わぬ出会いや地域のつながりをもたらしている。与え与えられる関係だけでなく、+α何か手伝える、農家も関われる縁をつくりだしている。子ども食堂に見られるような家族の枠をこえた食のあり方は、人と人とのまじわる公共空間を活発化し、創造していく可能性を秘めている。

「縁食論」の理解不足で不十分な報告となりましたが、藤原辰史先生の「コロナ新時代の食と農の思想」等の講演はYoutubeで聞くことができますので、ぜひ、ご覧ください。 (411) 藤原辰史客員研究員Web講演会「コロナ新時代の食と農の思想」 – YouTube                                 (文責 城)

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